恐ろしい世の中

テラスハウスに出演されていた木村花さんが亡くなった。私自身はテラスハウスを視聴していなかったが、友達から時たまあらすじなどを聞き概要を知っていた。

 

この出来事に、以前テラスハウスに出演して花さんとライバル関係でもあったという女性が号泣とともに思いを語る自身を録画した動画をSNSに投稿しているのを見た。

まず、なぜそれを載せるのかと疑問が湧いた。その様子をSNSにアップしても花さんに届かないし、編集と世界への公開という行為に新鮮な奇妙さを抱いた。この出来事によって引き起こされた私的な感情の共有の範囲が広すぎないか。これはこのネット世代に置いては普通の感覚なのだろうか。

友人でいたい人というものは、価値観や羞恥心を感じる状況が近い人のことだと思う。花さんとこの女性が逆の状況だったとして、花さんは号泣し友人へと語りかける自分を世界にアップするのだろうか。

私には、私が死んだとしても自身の思いや泣いた状況を録画し不特定多数の目がある世界に晒す友達はいるのだろうか。

 

また、テラスハウスの構造についても疑問と奇妙さを抱いていた。他人の恋愛の行く末をモニターで第三者が見ている構造は私には、虫かごの中のカブトムシを人間が好奇の目で観察している構造と同じように移りそれが見るに耐えられなかった。それをフィクションではなくリアリティショーという現実味のある枠組みで実行した企画や製作者側にそのあたりの美意識が欠如していると思う。

そのような製作者側の都合で編集されリアルと謳った切り抜き動画に視聴者の感情はかき乱される。感情が高ぶった視聴者にSNSで言いたい放題言われる出演者もまたかき乱され、殺される。 

顔も名前も会ったことも話したこともない、どこで何してるかも知らない相手の言葉の暴力に、自分が殺されるなんて想像しただけで恐ろしい。自分が言われたらどんな感情を抱くのか想像できない、美意識、想像力の欠落した人間がどれだけいるというのだろう。書く行為の中で気づかないのか。人間の尊厳の妨害をスマホ一台でできてしまうそんな危険を孕むツールや環境であることを全く理解していない。多くの日本人の人間性が狂っているのではないだろうか。

 

こんなことが現実に起きてしまっていることが、そんな事象が飽和してしまっていることが恐ろしいと同時に怒りが湧く。